ちょっと思った事というか、思い出した事。

皆さんは、死刑について、どういう考えを持っているのでしょうか。まあ、存置論者もいれば、廃止論者もいるでしょう。ちなみに僕は廃止論者ですが。
多分世間的には、様々な凶悪事件が大々的に報じられているせいもあって、存置論者が多いかと思います。しかしながら、(僕は法学部生なのですが)法学部では、恐らく、廃止論者のほうが多いと思います。これはなぜか。結論を出す前に、何故僕が廃止論者になったかを述べます。

それは一回生のときの基礎演習(小集団クラス)でのディベートを傍から見ていて感じた事がきっかけ、というか理由なのです。当然、ディベートですから、一方が存置論者、一方が廃止論者になって討論します。そのとき、廃止論者側の班が全員女性だったということも、
無関係ではないのでしょうが、山口県での母子殺害事件をとりあげて、「世の中には、こんな酷い奴がいる。こういう奴には、死刑を持って臨むしかないんだ」というような主張を行いました。無論、他にもいくつかの立論を行ってはいるんですが。
当然、犯人が許せないというのは、わかります。私だって、許せない。もしも、私が遺族だったら、あの方のように冷静に振舞うことなく、法廷で犯人を刺しているかもしれない。
しかし、これを言えるのは遺族だけなのではないか、と思います。それ以外の人間がそれを言ったとしたなら、それは「こんな奴は社会の害悪にしかならない。だからぶっ殺せ」という風になると思います。これが遺族の応報感情と別物であるのは明らかではないでしょうか。異質なものを排斥する、腐ったみかんは取り除け、害虫は駆除すべき、的な発想。これは、端的に言って優生思想、ナチズムではないのでしょうか。私は、ディベートの際に、直感的にこの事に気づき、頭痛がしました。なぜなら、それを述べている彼女達は、ごくごく普通の一般人であり、自らの正しさを確信している顔をしていたからです。人は、あんな顔をしながらも残酷な事を言えるのだ、と感じ、その後しばらく人間に絶望しました。そもそもそ、僕はシャアよりもアムロ派なので、人類がどうしようもないことはわかっていながらも、「お前ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいな」かったのですが。
そんなわけで、僕は死刑廃止論者になりました。他にも、死刑の威嚇効果が存置側からは主張されますが、死の恐怖によって人をコントロールしようとするのはテロリズムの考え方ではないか、とか、色々ありますが、ここではこの辺で。
で、法学部生に廃止論者が多いわけは、こういう風な理屈で攻めるからではないか、と思います。一般の方々は、凶悪犯罪を見て、死刑はやはり必要だ、という風に考えます。それはそれで必要な立場ではあるのでしょう。しかし、我々法学部生は法を学んだということで、
法の側に立った視点を提供する、理屈を考える立場にあるのだと思います。つまりは、このあたりのことが、法学部生と世論との考えの乖離に繫がっているのだと思います。