「事実は小説より奇なり」は奇か?

「事実は小説より奇なり」という言葉がある。
んで、今日ふと思ったんだけど、それってある意味当然じゃね?

何故かというと、フィクションには事実以上のリアリティが要求されるからだ。
創作物を批判するときに、「ご都合主義だ」という批判がなされることが結構あることでも分かるように、フィクションにおいては「都合が良過ぎる展開」であるとか「偶然どうにかなる」といったことはなるべく避けなければならないと思う。まあ程度問題ではあるけど。
たとえば、「クライマックスシーンで突然大地震が起こって黒幕が瓦礫の下敷きになって死んでしまう」のは駄目だろうが、話の展開上都合よく「雨が降ってきた」程度なら許されるだろう。*1

思うんだけど、ギャンブルをフィクションの中で描くことの難しさもこの辺にあると思う。ギャンブルは「偶然」の要素が大きすぎるから、下手をするとどうやってもご都合主義的に見えてしまうのだ。だって、結局のところ、その偶然を操ってるの作者だからね。だから、それを誤魔化すためには、ギャンブルの結果が「偶然そうなった」わけではない、という風に見せなければならないのだろう。多分、福本伸行が上手いのはそこだと思う。
閑話休題

で、フィクションにはそうやって「リアリティ」の縛りがあるんだけど、事実にはそれがない。どんなにご都合主義的な展開であろうと、「だって本当にあったことなんだから仕方ないじゃない」という言い訳があるのだ。

どんなに破天候でご都合主義的な展開であろうとも、「だが、これは事実なのだ」という一言で許されてしまう。

そう考えてみると、「事実は小説より奇なり」は当然ではなかろうか。


BGM:「メロスのように -LONELY WAY-」AIRMAIL from NAGASAKI

*1:これだって場合によるけれども。