少女ファイトの面白さをコードギアスから考える。
はいどうも。みなさんこんにちは。
七月もあと数時間だというのに、何とか更新をかまして月一更新を維持しようとする男mimizuku004でございます。
今日はマジに時間がないのでいつにもましてとりとめのない話になってしまうような気がしますが、悪しからずご了承下さい。
で、記事タイトルの話なんですが、まず、ずいぶん昔にこういう連載記事がありました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080811/167691/
んで、この中にコードギアスの回があって、そこで、谷口監督が、
「コードギアス」という作品では、物語の構図として意図的に仕込んでいるラインがあるんです。登場人物たちのコミュニケーションの取り方を、あえて「一方的」にするようにしています。
本来、コミュニケーションというものは、人と人が真っ正面から向き合うことが必要じゃないですか。
けれども、この作品の登場人物たちに関しては、それがない。「本人は一方的に相手のことをこのように考えている。でも、相手はそんなことを考えてない。向かっているベクトルが全くずれている」という形にしているんですね。
だからキャラクター同士が、共通の認識を持って真っ正面からぶつかり合うことは、まずありません。相手のことを真正面から捉えてぶつかっているように見えても、ちょっとずつ微妙にずれていたりとか。中でもルルーシュは特に我が強い人間なので、一方的に「アイツはこう動くのが良いだろう」と考える。彼にとって、その人の意志は関係ないんです。
―― どうして一方的なベクトルにしたんですか。
主人公に都合がよい世界にしないためです。現実世界が、そういったものであるだろうと。
同上
っていう話をしてたんですよね。
コードギアスを見てた人間なら、「ああ、あの場面とかはそんな感じやなあ」とかいろいろ思い当たるふしもあんじゃないかと思いますが。
まあ、それは別にどうでもいいんですけど、僕も、谷口監督が、
現実世界が、そういったものであるだろうと。
って言ってるように、世の中ってな、そんなもんやと思うんですよ。多かれ少なかれ。
個々人のベクトルなんて全然違うし、
本来、コミュニケーションというものは、人と人が真っ正面から向き合うことが必要じゃないですか。
なんて、理屈としてはわかってても、なかなか出来ることじゃない。
だから、そういう「ずれ」ってな、どうしても生じて来ると思うんですよ。
池波正太郎が、剣客商売で、
「人間という生きものは、だれでも、勘ちがいをするのだよ」
「…………?」
「ごらんな。太閤・豊臣秀吉や、織田信長ほどの英雄でさえ、勘ちがいをしているではないか。なればこそ、あんな死にざまをすることになった。わしだってお前、若い女房なぞをこしらえたのはよいが、それも勘ちがいかもしれぬよ」
障子を閉めて台所へもどりかけていたおはるが、これを耳にはさみ、
「若い女房が、どうしたんですって?」
「いや、何でもない。何でもない」
ぽんと灰吹きへ煙管を落とした小兵衛が、
「弥七。人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ」
と、いった。
「大先生。まさか……?」
「お前ほどの御用聞きが、そのことに気づかぬのはいけないよ。いいかえ弥七。それほどに、人が人のこころを読むことはむずかしいのじゃ。ましてや、この天地の摂理(うごき)を見きわめることなぞ、なまなかの人間にはできぬことよ。なれど、できぬながらも、人とはそうしたものじゃと、いつも、わがこころをつつしんでいるだけでも、世の中はましになるものさ」
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でも、少女ファイトはその辺ちょっと違う気がするんですよね。
「ずれ」や「勘ちがい」がないわけじゃないんですけども、
「人に気持ちを伝えるのはわがままじゃねーぞ 責任を人任せにしないってことだ」
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自分たちがやらない、あるいは出来ないそれを、ちゃんとした形でやってくれてるんじゃないか。
そこが少女ファイトの面白いところなんじゃないかって気がします。
……なんだか大層なタイトルを付けたりしたわりに何の面白味もない結論に達してしまいましたけど、とりあえず、ギアスなんかと対比することで、そのことがより鮮明になったとかそういう風に言い訳しておきます。
あと、面白いと同時に凄いですよね。
お話だからそういうことが出来てるっていう側面もないことはないでしょうけども、自分たちがやらない、あるいは出来ないことをあれだけきっちり描くってな、決して簡単なことじゃないですよ。マジで。
まあ、僕のような非コミュ(参照:非コミュのためのtwitter入門(※すんごく長いよ!) - 一切余計)だと、面白さとともにあまりの眩しさに死にたくなりますけどね!
それでは、今日はこの辺で(意訳:強引でも何でもこの辺で終わらせないと七月中に更新できない)。