「ダブルスタンダード=悪」ではない。
はいどうも皆さんこんにちは。今月は早めに更新しようと思ったのにもう真ん中まで来た時の顔をしている男、mimizuku004でございます。
今回はちょっと前々から気になってたことを書こうかと思います。
何て言うか、ネット上を見てると「ダブルスタンダード=悪」みたいに思ってる人が非常に多い気がすんですけど、個人的にはちょっと違和感を覚えるんですよね、そこ。
なんでかってえと、憲法学には「二重の基準(ダブルスタンダード)論」って話がありまして、ダブルスタンダードって言葉を見ると、それを思い出すからなんすよね。
教科書的な説明をすると、
この理論は、人権のカタログのなかで、精神的自由は立憲民主制の政治過程にとって不可欠の権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし、したがって、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性の基準」(第一〇章一2参照)は、精神的自由の規制立法については妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論である。そして、権利や自由の内容・形態、規制の目的・態様等によってさらに判定基準を細かく考えていこうとする。
- 作者: 芦部信喜,高橋和之
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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こういう話があるってのを知ってるんで、僕としては、目的とか基準とか運用とかが妥当ならそういう異なる取り扱いをすることが妥当と考えられることもあるんちゃうんかなあとか思うんすよ。
なんで、一概に「ダブルスタンダード=悪」みたいに言われるとケツの辺りがむずむずすんですよね。
無論、駄目なダブルスタンダードが少なくないんやろうなあとは思いますよ。
でも、駄目なら駄目で、目的が駄目なんか基準が駄目なんか運用が駄目なんか、ちゃんと指摘した方がええような気がすんですよね。
まあ、そこら辺を全く説明してない、論外な場合もわりとあるような気もしますが、それはそれで「説明がない」って指摘した方がええんちゃうんかなあっていう。
そういう風に思うんで、
ノ L____ ⌒ \ / \ / (○) (○)\ / (__人__) \ | |::::::| | なんでそうなるんだお! ダブスタだお!! \ l;;;;;;l /l!| ! / `ー' \ |i / ヽ !l ヽi ( 丶- 、 しE |そ ドンッ!! `ー、_ノ Σ l、E ノ < レY^V^ヽl
とかじゃなくて、
/ ̄ ̄ ̄\ / ─ ─ \ / (●) (●) \. 基準の運用が恣意的すぎると思いますお。 | (__人__) | \ ` ⌒´ / / \
とか言った方がええんちゃうんかなあと思うんですよ。
あと、関係あるようなないような話をすると、よくブログとかで「○○なコメントは削除します/無視します」みたいなこと言ってる人いますけど、そういう人ってなぜか実際にどういうコメントが来てどうしたかとかいう実例を出さない事が多いような気がします。誰の事とは言いませんが。
実際の運用まで見せてもらわないと基準だけ言われても判断しようがねえんだけどなっていつも思います。
それでは、今日はこの辺で。
*1:僕の持ってる本ちょっと古いんで今の本とはページ数とか文章がちょっと違うかもしれません。