やっぱり、ねむたいときに更新するもんじゃないな、と思った。

昨日はひどかったな。
最近のはてぶを見てて思うこと。 - 古木の虚

頭が朦朧としてるから、ろくなことにならない。元の文章もグダグダだし、それを直すのもグダグダだった。
いや、いつもグダグダだが。
ただ、昨日はさらにひどかったような気がする。
つうか、やっぱり、駄目な文章はどういじっても駄目臭い。推敲するときは、その文章自体を一から書き直すくらいじゃないといけないな。少なくとも、それを厭わないことは必要なんだろう。
昨日なんか、何回手直ししても気になって仕方が無かった。結局十回くらい細かく直したんじゃないかな。
それでも、まだなんか気になってる。

まあ、そもそも俺の場合、推敲自体あんまり好きじゃないんだけど。
確かに最低限の誤字脱字を直すことは別にいいんだけど、それ以外の部分で下手にいじくると、その文章を書いていたときの、「流れ」であるとか、「勢い」のようなものを殺してしまうような気がする。結構それって大事なような気もするんだよな。ていうか、推敲なんてやろうと思ったら幾らでもできて、幾ら直しても、「まだ良くなるんじゃないか」とか、「全然駄目なんじゃないか」とか思ってしまう。
しかしながら、それは、人間を、というよりも自分を信じていないということだと思う。
ティーブンキングも言っているではないか。

小説作法

小説作法

悪文のほとんどは不安に根を発している

と。
彼の言う不安というのは、もっといろいろな意味があるとは思うが、この辺とも無関係ではないと思う。
つまりは、自分を信じられず、また、他人を信じられずに、疑心暗鬼に陥った結果、闇雲に推敲してしまうことがあるのだ。


というか、推敲していて思うが(このブログの文章はあんまりそういうことしないんだけど)、散々推敲していろいろな表現を考えた挙句、「一番最初の奴が一番良かったじゃねーか!」ということがわりとあるんではなかろうか。
多分、一番最初に出てきた文章っていうのは、あんまり余計なことを考えずに、するっと出てきたもんだと思う。
この、「するっと出てきた」ってのは、思った以上に大事なんじゃないか、とか最近思う。



でも、眠いと、元がグダグダだから、そういうわけにもいかないんだけどね。元の文章自体が、まったく信用ならない(笑)。んでもって、直すほうもグダグダだから、悪循環にしかならん。ていうか、グダグダだと感じる感性すらもグダグダになっとるからなあ。
今もなんか、微妙にその気配がしてきた。
というわけで、今日はこの辺にしておこう(笑)。


BGM:「嵐の勇者」岡柚瑠