愛の威力
もう前回の更新から一週間も経ってもうたんかいな。
まあいいけどさ(笑)。
ところで、こないだの、
「島本和彦はひとのこといえるのか問題」について、島本信者の俺が書く。 - 古木の虚
に、いただいたブクマコメで、こんなのがあった。
なんていうか愛のある語りは心地よいですがんばってください
この、「愛のある語りは心地よい」というフレーズが、不思議と心に残った。
何故、「愛のある語りは心地よい」のだろうか。
逆から考えると、何故、愛のない語りは、心地よくないのだろうか。
しかし、ちょっと考えてみて気付いたが、それはある意味当たり前のことなのだ。
端的に言うと、愛とは、想像力のことである。無論のこと、愛とはそれだけではなく、もっと多様なものを内包しているとは思う。しかし、想像力が重要な要素であることは否定できないだろう。
つまり、愛のない語りとは、想像力の欠けた語りなのだ。そんなものが心地よいはずがない。面白いはずがない。
ただ、それだけのことではなかろうか。
とまあ、そんなところで、またもや俺の思考は飛躍する。*1
想像力とは、人間だけが持っている。と、誰かがどこかで言っていた気がする。*2
しかし、愛が想像力であるとするならば、他の動物も、それを持っているのではないか。
なぜなら、犬や猫を飼ったことのある人なら分かるだろうが、彼らは確かに愛情らしきものを持っているからである。
……我ながら、面白いとは思うが、むちゃくちゃな思考である(笑)。
直感的にそう思ったと言えば、聞こえは良いが、この場合、直感的というよりも、妄想的であろう(笑)。
しかしながら、この直感てな結構大事ではある。確かナディアでもネモ船長がそんなようなことを言ってたような気がするけど。
多分、たいていの場合、理屈は最初の最初にはない。ある物事に相対したとき、直感的に、
「これは、違うんじゃないか」「これは、おかしいんじゃないか」「これは、こうなんじゃないか」
とか、そういうことを感じ取って、それを補強したり、確かめたりするために理屈をつけていくんじゃなかろうか。
だから、この直感というか、センスってな結構重要なんだよな。*3
つうか、論争とかがあんまり纏まらないのもこの辺が原因じゃないのかな、とか思う。対立する意見の根底にあるのは、対立している論理ではなく、対立している直感的理解なんじゃねえのかな。理屈の対立は、どうにかすることも出来るはずなんだけど(それこそ、理屈の上では(笑))、直感の対立となるとちと厄介ではあるよなあ……。つか、どうしようもないような気もする喃。
とか、まあそんなようなわけの分からないことを考えたりしました。