理屈の力と人の力
俺は結構理屈っぽいというか、理屈をこねるのが好きなので、そんなようなことをこのブログでも良く書くんだけども、実際のところ、理屈の力というのは、それほどたいしたものではないと思っている。
まあ、大したものではないというか、理屈で全てがどうにかなるなんて思っていないというか、結構理屈を信用していないようなところがある。
島本和彦も、
「テクで描いてるんじゃないんだよ、キャラクターは!」
「テクで描けるんなら、苦労はしないんだよ!」新吼えろペン二巻より
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「理屈でどうにかできるんだったら、苦労はしないんだよ!」
ということなんだと思う。
畢竟理屈などというものは、道具に過ぎない。
最後の最後に問題になるのは人力である。
確かに、ドライバーがあったほうが、ねじを回すことは容易いだろう。
しかし、ドライバーがあったからといって、上手くねじを回すことができるとは限らない。
どういう風に先端を当てるか、どう駆動するか、全てこれ人力である。
最後の最後にものを言うのはマンパワーである。
松本零士曰く、
「ドタン場で必要となるのは考える力を持った人間様だ。」
「マンパワーは全ての状況を支配する、宇宙の原則だ。」超時空戦艦まほろぼ二巻より
超時空戦艦まほろば (Vol.2) (ビッグコミックスゴールド)
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要するに、僕は理屈の力を信じていないというよりも、そのドタン場で問われる、人の力というのは、人が思っている以上に大きいんじゃないか、と思っているのだ。*1
結局のところ、ドライバーがあろうがなかろうが、ねじを回せる奴は回せるし、回せない奴は回せないのではないか。
そんな気さえするのだ。*2
まあ、だからといって、ドライバーの意味合いを否定するものではないけど。
そのドライバーがあれば、元々ねじをまわすことの出来た人も、もっと上手くねじを回せるようになるかもしれないし、ひょっとしてひょっとすると、そのドライバーがあったればこそ、それが回せるようになったということも、あるかもしれない。
だが、結局のところ、そのねじを回したのは、ドライバーではなく、人なのだ。そう考えると、本当に理屈の力なんて、たいしたことないんだな、とつくづく思う。
理屈をこねる者は、常にそのことを心の片隅においておく必要があるのではなかろうか。そうでなければ、理屈に淫することになるのではなかろうか。そんな風に思っている。
……というのも、なんとも言えず、理屈っぽいよなあ(笑)。
*1:大体この辺とかは、僕のそういう考えがよく出てると思う。
黄金の意思 - 古木の虚
大学サークルのコンベンションについて、極少数者の暴論。+蛇足 - 古木の虚
*2:少しばかり乱暴かつ極端な言い方だけど。