TRPG系のコラムを読んで時に思うこと〜TRPGの変化とは〜

とりあえず、前置きしておきますが。私はTRPGは大学に入ってからはじめました。
ので、オールドゲーマーではありません。FEAR世代と言ってよいでしょう。

ので、以下に書くことは私の想像と言うか、雑感のようなものです。
しかも、どこかで誰かが言ってそうなことです(笑)。
その上、また、まとまってねーよ…(笑)。


D&Dが生まれて以来、TRPGというものは変化し続けてきたようです。
最初はシミュレーションに毛が生えたようなものから始まり、ゲームとしての側面が大きかったようです。そして、昨今では、FEAR系のような、物語的側面を重視したものが大きな流れとなっているようです。
(この辺りの分類は、どこかで見た気がするのですが…。該当記事を見つけられなかったので…)


このように、TRPGのプレイスタイルが変化してきたと言うのですが、もう一つ、変化があるんではないかなあ、と、僕は思っています。
それはTRPGをプレイする場の変化です。

TRPGの黎明期においては、友人の家などに集まり、一定のキャンペーンを行うという形が多かったのではないでしょうか。

しかし、TRPGがある程度普及するにつれて、コンベンションや大学サークルでの例会などでプレイする機会が増えていったのではないでしょうか。
無論、前者と後者は並列しているでしょう。今でも、前者のような形が全く無いとは到底考えられません。しかし、現在では、前者に比べて後者のほうが多いのではないか、と思います。
理由としては、旧来のTRPGプレイヤーが社会人となってしまい、友人の家に集まるという機会を設けることが難しくなってきていることや、そもそもコンベンションやサークルが増えたことなどがあげられるかと思います。

よって、TRPGの変化には、それをプレイする場の変化も無視できないのではないかと
思います。

最も極端な例として、コンベンションと、友人の家などで行うカジュアルプレイの差をあげると、

コンベンション:時間が限られている。PLが誰か分からない(予約制をとっていない場合。例えとっていたとしても、知り合いでなければ変わらない)。


カジュアルプレイ:コンベンションに比べれば、時間的余裕はある。また、PLが誰なのかは事前に分かっていることが多い。



こう考えた時、現在主流となっている、シーン制やハンドアウトは、まことにもってコンベンションやサークルの例会向きだと思います。
それらの特徴である、さまざまな制約に対して親和性が高いと思うのです。

シーンを切ることによって、余計な時間を食ってしまいそうな部分をバッサリ切り、ハンドアウト、クイックスタートでキャラ作成やオープニングの時間を短縮することが出来ます。


また、FEARゲームの性質として、PLがGMにあわせる、と言うものがあるのではないかという指摘がなされていますが、

これもまた、コンベンション向きだと思います。PLとして誰が参加するか全くつかめない状況では、PLにあわせるよりも、GMにあわせてもらったほうが手っ取り早いのです。


とまあ、グダグダと、TRPGをプレイする場の変化について言ってきたわけですが。


最終的にいいたいことは二つあります。

次世代のTRPGをプレイする場は、友人の家でもなく、コンベンションでもなく、ネット上なのではなかろうかと。
我輩などは頭が悪く、ネットの性質も良くわきまえてはいないのですが。
次世代型TRPGを考える際は、ネットでプレイするということを念頭に置くのがいいのではないかと。現在行われているオンラインセッションは、大抵、オフライン上で行うことを想定した普通のシステムで行われていると思うのです。
まあ、CSTとかありますけど。あとは、僕の知っている範囲では、紙魚砂日記さんのツキカミとかか。ネット上でやることを意識しているものというのは。
(しかし、CSTと並べといたら、怒られそうだな……)

しかしながら、完全なるネット対応という意味では、どうなのかっていうのは、よく分かりません。


あと、もう一つ。TRPG系の論考を読んでいて、たまに思うのです。

この論考は、どういう状況を想定しているのだろうか、と。
つまり、カジュアルプレイとコンベンションプレイに大きな差があるのは自明なのに、それを場合わけせずに、書いているものが多いと思うのです。

いや、例えばね、ベルスポTODAY-tabloidさんみたいに、カジュアルプレイ全開!で、しかも、プレイする時の心構えなんかを中心に書いているとこなんかは全く問題ないわけですよ。心構えは、カジュアルだろうが、コンベンションだろうが、関係ないし。

そういうのではなく、ある一定の場とか環境(カジュアルもしくは、コンベンション)を想定していると思われるのに、どちらを想定しているのかと言うことを曖昧に、むしろ、言うまでも無い当然の前提として触れもせずに、TRPG一般に関する論考であるかのようにかいてあるものがタマにあるような気がするんですよ。

で。我輩のように、コンベンションや大学サークルでのワンオフプレイを「当然の前提」としてしまっている人間は、カジュアルプレイを「当然の前提」としている論考を読んで、うんうん唸るわけです。
当然です。場が異なるのに、そのまま当てはまるわけが無い。


なんか冒頭に表示してくんねえかな(笑)。
この記事は、コンベンションプレイ寄りです、とか、カジュアルプレイ寄りです、とか(笑)。

まあ、そこまでされねえとわかんねえのか?って言われると、平身低頭するしかないんですけども、なんか紛らわしいなあ、って思うことってないんですかねえ?


ただ、オールドゲーマーとFEARゲーマーの価値観の相違にはこの辺りも、関係するんではないかなあ、と思いつつ。