死ぬことと見つけたり。

昔から時代劇と侍が好きでした。
桃太朗侍が好きでした。暴れん坊将軍が好きでした。水戸黄門が好きでした。銭形平次が好きでした。
いつから好きなのか、何故好きになったのか分からないほどに。
もはや本能というしかないほどに。


池波正太郎が好きです。藤沢周平よりも柴田錬三郎が好きです。
柴錬のなかでは、実は眠狂四郎よりも御家人斬九郎大和川喜八郎が好きです。
池波正太郎の中では堀部安兵衛が好きです。

武士道の逆襲 (講談社現代新書)

実際、武士道の本を読むとは思っていませんでした。俺の中にある武士・侍の姿は、時代劇で見た、時代小説で読んだ、その中で受け取った理屈にできない何かだったから。
でも、この本にはそれがあった。

何はともあれ、葉隠が熱過ぎる。熱い。とんでもなく熱い。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」が熱い。

「図に当る」とか当らないとか関係ない。

「相手何千人もあれ、片端よりなで切りと思ひ定めて向かふ」しかないのだ。

熱い。熱すぎる。

意味わかんねーかもしんねーけど、「図に当る〜」ってのは、自分の思い通りに行くってことで。
当然武士の思想は戦場・闘争が基本なわけで。

敵を倒せるとか倒せないとか自分が生き残れるか生き残れないかとか勝てるか勝てないかとか関係なく。

やることをやるんだよ。

それで「相手が何千人いようと片っ端からたたっ斬る」んだと言う。*1

熱い。熱すぎる。

これは正にヒーローの思想ではないか。


宇宙怪獣が何万匹いようと、ガンバスターはたった一機でも向かって行くし、仮面ライダーは相手が世界征服を企む巨大な秘密結社でも、たった一人でも向かって行く。

とかまあ考えていたら。

おいらが真剣にロールプレイするときは結構画一的で、「漢」なキャラになっちゃうのですが。*2

これって要するに、おいらは真剣にロールプレイすると、侍モードに入っちゃうんじゃないかと。

だから、俺は真剣にやりだすと、PC・NPCの生死は一切問わなくなってしまう。

生き残れるか、生き残れないかとか関係ない。

ただ、やることをやるんだよ。そういう風になってしまうのかもしれない。

と言う事に最近気付いた。

いい事なのか、悪い事なのか、よく分からない。

でも、改めるつもりはない。

なぜなら、かっこいいからだ!!

*1:でも、かなり俺解釈入ってるかも(笑)

*2:冷徹っぽい奴だったり、熱血漢だったりはしますが