ガンダムAGEの小説版、一巻と二巻を読んだでござるの巻。

はいどうも。
皆さんこんにちは。
相変わらず何かつけて手が遅い男、mimizuku004でございます。
このたび、ようやく、AGEの小説版の二巻を読んだので、今年の一月に書いた、
ガンダムAGEの時系列問題について。 - 一切余計
という記事の続きをば。

でまあ、僕としてはAGEの時系列について、上記のような推測をしたんですけど、その部分が小説版でどうなっていたかというと……。
ラクトがドンの葬式するとかいう話がばっさりカットされてて、フツーにミンスリーに到着してましたね。
まあ、マッドーナのおやっさんについては、ミンスリーに着く前から合流する手はずになっていたっていうことになったみたいですけど。


ところで、それはそれとして、今現在、僕はこの小説に大いに注目する部分があったりします。
何て言うんですかね。狙ってやってるんでしょうけど、この小説、節々から猛烈な富野臭がするんですよ。
それが最も色濃く出てるのが、一巻と二巻の冒頭ではないかと思います。

地球人類が、重力のくびきを離れて宇宙に進出してから、数百年の時が流れた。
真空の宇宙であっても、人がそこで世代を重ね、スペースコロニーの人口の大地の上で生きていくことができるのは、人類の持つポテンシャルのたまものであろう。
数え切れず繰り返された戦乱は、幾億の人々の命を虚空に散らせ、モビルスーツという人型をした異形の兵器を生み出す契機ともなったが、そのことが人類に紛争を根絶しようという意志をもたせたのも、そのポテンシャルの副産物といえよう。
が、そのような歴史を積み重ねながらも、平和というぬるま湯の中で、武器を捨てる高貴さ、魂のノーブルとも言うべきものを摩耗させてしまうのは、人の愚かさなのだろうか?
そうではない、と信じたい。
そうでなければ、人が類人猿から進化して、道具を手にした知恵というものは、空しいものである、と感じるからだ。
そして、“ガンダム”という名のモビルスーツを駆る少年たちの健やかな魂が、我々の前に道を示してくれよ、と祈るのみである。

小太刀右京著 「ガンダムAGE」1 スタンド・アップ P14

引用すんの一巻の冒頭だけにしときますけど、こんな具合ですよ。
この『人類の持つポテンシャル』とか『魂のノーブル』とか、物凄く富野っぽいような気がするのは俺だけでしょうか。
で、思ったんですよ。最初に読んだ時。
「こりゃァ、ここまでやるんなら、あとがきはベナレスで書かなきゃ嘘だな」って。
一巻にも二巻にもあとがきってなかったんですけど、流石に最終巻にはあるでしょうし、もうそこに大注目ですよ。マジで。
本編よりあとがきのほうが気になって来てる。いや、無茶振りなのは分かってんですけど。
まあ、何にしても、この部分はチェックしていきたいなあと思ったりしています。
それでは、今日はこの辺で。

BGM:「ウィルゲム離陸」菅野よう子