TRPGのシナリオにおける障害について


私は自他と共に認める和マンチである。
データにはやたらめったらこだわり、強いキャラクターを作ることに血道をあげる人間である。

最近、ちょっと不毛だな〜と思い始めてはいるのだが(笑)。

そんな私にとって、TRPGにおける戦闘は最大の楽しみである。
PLの求めているものが自らのPCを理解してもらうことであるならば、強さにこだわる私にとって、そこは最大の見せ場であるからだ(笑)。

だが、時たま見る意見で、TRPGの戦闘はデキレース(もしくは自慰行為)にすぎないというものがある。(こことか

まーたしかに、なるほどとは思うのです。たしかに、最近のTRPGシステムって、戦闘が一番重視されている。にもかかわらず、帰結はわかっている、と。必ず、PCが勝つとわかっている部分に、それだけのウェイトを傾けるのはどうなのよ、というのは。

ただ、ちょっと思ったんですよ。

戦闘って言うのは、シナリオ上では、PCに与えられる、障害の一つなわけですよね。

じゃあ、TRPGのシナリオ上、デキレースじゃない障害ってあるん?

例えば、戦闘がメインではないシナリオタイプとして、シティアドベンチャーというシナリオ形式があります。

これは要するに、戦闘ではなく、謎解きやそれに付随する情報収集がPCに与えられる主な障害となるシナリオ形式なわけですが。

恐らく、そのような障害であっても、PCが乗り越えられるような筋道は、一応、考えられているはずで、(逆に無かったら色々問題な気がする(笑)。まあ、それはそれでおもしれえかもしんねえけども)必ずPCは正解にたどり着ける、という意味では、PCの勝利が約束されている戦闘とたいした差は無いのではないかな、と思う。

しかしながら、私も、実際の経験上、戦闘よりも、そういった情報収集のほうが、自分の頭を使うというか、色々な工夫が必要になるというか、デキレースって感じが、戦闘よりはしないとは思います。
では、なぜ、そのように感じるのでしょうか。それは、過程と目的(結果)のありようの差ではないかと思われます。


つまり、戦闘における目的とは、大抵、「敵を倒すこと」であり、過程は「戦うこと」です。
やることと、そのためにどうすればよいのかが非常に明確、かつ単純化されていることが分かると思います。特に最近のFEAR系ゲームでは、足を止めての大火力の打ち合いが多いため、よりそのような傾向が強いと思われます。

翻って、情報収集の目的はシナリオの進み具合にもよりますが「情報を得ること」です。
で、その過程は「情報収集」です。
情報収集って、シナリオの初期においては、大抵、ここにいったらなんかわかるかもしれん、といった感じで手当たり次第に集めます。で、おおよそ事件の流れが見えてきたら、こんどは確信をうるための情報を集めにかかると思われます。

つまり、初期においては、「目的となる情報」自体の詳細が不明であり、そこをすぎると、目的となる情報の概要はつかめてきますが、「どこでどのように情報収集」するのか、ということがネックになってくるのではないでしょうか。(この例はきわめて単純なのですが…)


こう考えてくると、戦闘と情報収集の差がおぼろげながらに見えてきた気がします。


つまり、情報収集のほうが、戦闘に比べて、何かしら不透明なものを含む瞬間が多いのではないかと思います。

これが、デキレースであると感じる事が多いか少ないかの原因ではないでしょうか。



つうことはですね、この事を踏まえて戦闘を考えれば、デキレース感を、ある程度どーにかできるんではないかとも思うのですよ。


つまりは、過程もしくは結果(目的)を不透明にすればよいではなかろうかと。


過程=敵と戦う、という部分においては、勝てるかどうか疑わしい程に強い敵を出せば、よいと思います。
まあ、GMの戦力は無尽蔵なので、PCを全員殺してしまった時に、「貴様らが弱いからだ」
と涼しい顔で言えるような強さの敵を出すってことですが。
この点では、ダブルクロスリプレイオリジン二巻で、敵が全員ヴァイタルアップした辺りが参考になるかと。
俺も、あれを見て、「今までの俺の戦闘はぬるかった!」と反省しましたからな。


目的=敵を倒す、という部分においては、例えば、敵を倒す以外の目的を増やしてみるとか。

誤解によってPCに襲い掛かってくるNPCと、その後ろにいる敵NPC、さらに、もたもたしていると一般人に被害が出る、みたいな状況とかどうでしょう。

この状況の目的は、NPCを説得する、敵を倒す、一般人を守る、という三つになり、どれを優先するかが不透明となります。


とまあ、そんな事に気をつけたりすれば、戦闘もまだまだ面白くなるかねえ、などと思いつつ。