ヒーローとピンチは切っても切れない間柄
今日は、TRPG(というかゲーム全般だろうか?)における、ゲーム性と物語性について。ちと思い出したことがあるんで覚え書き。*1
もう何年前だったか、さっぱり覚えてないってか、遊☆戯☆王がジャンプでやってたころだから、すんげえ昔だけど。そのとき、遊☆戯☆王の作者である高橋和希が、ジャンプの巻末コメントで、こんなようなことを言ってました(うろ覚え)。
「ゲームでは一進一退の攻防が面白いが、物語的には必ずしもそうではない」
これは、どういうことかっていうと、ゲームでは一進一退の攻防、つまりは相手の手を読んで、即座に対応していくってのが面白いってのはわかると思うんですよ。要は丁々発止ってことですね。
たとえば、将棋とかだと分かりやすいかと思うんですけど、お互いがお互いの手を読んで、五分の戦況が推移していくのが、やっぱり面白いと思う。(まあ、どこかで差がついていくんだけど)
最初から一方がフルボッコされてたら、全然面白くない。
でも、逆に、物語的に(特に少年漫画的バトル漫画では)、超強い敵が現れた!→主人公超ピンチ!→しかし、作戦とか、謎の力に覚醒とか、仲間のおかげで、逆転!っていうのが面白いんですよね。要するに、逆転劇。
しかも、そのピンチが深刻であればあるほど、逆転の目が(一見して)なさそうであればあるほど、劇的になるわけですよ。
とまあ、ここまで言って、おかしいじゃないかと言われる方もいるかと思うんですけど。ゲームだって、逆転劇はあるし、それも面白い。物語的にも、丁々発止の戦闘は、別にいいじゃないか、って。
そりゃ確かにそうなんですがね。
まず、物語的な、丁々発止の戦闘ですけど、それが全然アリなことは僕も認めます。でも、それって、せいぜい、対中ボス戦までじゃないでしょうか。やっぱり、ラスボス相手には、決定的なピンチに陥ってほしいと思うんですが。
ラスボス戦でも、それほどのピンチに陥らず、五分の戦いを繰り広げて、わずかな差で勝つっていうのは、まあ嫌いではないけれど、少年漫画的ではないなあ……と。
そして、ゲームにおける逆転劇と、物語における逆転劇なんですけど、違いは、ピンチの度合いです。
ゲームにおける逆転劇ってのは、ある程度、逆転の目があるところから、逆転していきますよね。ていうか、ルールがある以上、そうならざるを得ないんですが。
でも、物語の逆転劇ってのは、それに比べると、逆転の目は著しく小さいです。(小さいですってか、小さくしてあるんだけど)
まあこういう場合、僕が良く例に出すのは、ダイの大冒険なんですが。*2
ダイの大冒険で、最初に大魔王バーン様が出てきて、ダイ一行と戦ったときの絶望感と言ったらなかったと思いますが。真・大魔王バーン様が出たときもそうでしたけど、あれ、ゲーム的には逆転の目があるとは思えない戦いでしたよ。あの六個の黒のコアで地上が消滅しちゃうかもしれないピンチとかも。
何せが勇者があきらめてたからなあ(笑)。
要するにですな。将棋でたとえると、物語的に面白いくらいのピンチってのは、敵は駒が全部残ってるのに、こっちは王様一枚の丸裸にされてるくらいのピンチなんですよ。*3
でも、そのピンチってゲーム的には逆転できないくらいのピンチなんですよね。*4
こう考えると、高橋和希の言ってる意味がよく分かるし、なかなか鋭いところをついてると思います。
あの人は、卓ゲ的には、あんまり好かれてなさそうだけど、流石にジャンプで連載持ってただけのことはあるなあ、と思います。
まあ、でもこれを解決するのはかなり難しいと思いますが。どっちかを優先せざるを得ないと言うか。
ゲーム内で、そういう逆転劇をやるためには、菊池たけしが合わせ鏡の神子でやってたみたいに、イベントで
やるしかない、つまりは、ゲームのルールの外側でやるしかない・ルールを無視してやるしかないと思う。
もしくは、シナリオ的に、クライマックスを二層構造にしてみるとか。*5
あ、でも二層構造にするのは、わりと上手い手かもしれないな、これ。最初は人質をとられてて、フルボッコにされるが、それを何とか助けることで逆転ってのは、アリアリな気がしてきた。まあ、人質云々はシナリオの話だから、結局はイベントって気もするんだけど。
要するに、あれか、工夫次第で何とかなりそうだけど、逆に言うと、工夫しないと駄目ってことね。
まあ、この辺の物語性とゲーム性の対立ってのを意識してやってみると、また面白いかもしれませぬなあ。
とかなんとかいいつつ、上述した、二層構造、人質とかのアイデアって、結局たいした解決になってねえ気がしてきた。
そういう、ゲームのルールを逸脱したピンチを作り出すっていうのは、ある意味で、TRPGのゲーム的側面を無視してるような気もするからなあ。
考えてみりゃ、この人質のアイデアって、フォーラの森砦のラストのサシャの話とかに似てる気がしてきた。
あの時、ザーフィ(遠藤卓司)が、「GM、このシナリオ詰んでるぞ?」とか言ってたけど、それはもう、ゲーム的にはどうしようもなくて、イベントでどうにかするしかないっていうことに対するツッコミだったような気がしてきた。
やっぱ、TRPGってゲームって側面もあるからなあ……。ゲームであるからには、与えられたリソースで、与えられた問題が解決できなきゃフェアじゃないわけで。でも、物語的には、それじゃ物足りんのだよな。(という話を今してるわけだけど)
所詮、人質云々ってのは、物語性のほうを優先させているに過ぎないって気もしてきたぞ。
つうか、やっぱそうだよ。物語的には、逆転の可能性のないところから逆転するのがオモロいんだけど、ゲーム的には、逆転の可能性のないところから逆転するってのはありえないんだよな。かといって、ゲーム的に逆転の可能性を残しておくと、物語的には「ぬるい」ことになりそうな気もするし……。
んー、どっかで妥協せざるを得ないよなあ……。
まあでも、個人的には、物語性をある程度優先させる方が好きは好きかもなあ。ただし、和マンチなんで、PCが精一杯(データ的に)がんばっても、ほんの少し足りなくて、そこをカバーするために、なんらかのイベントが……くらいが好みかなあ。つうかGMのときも結構そういう意識でやってた気がするなあ。
データとか全然関係なく、とりあえずフラグ立てれば勝利ってのは、あんまり性にはあいそうにないのう。*6
このへんの好みとか考えてみるのも、シナリオを考える上で、役立つかもしれませぬなあ……。
なんて適当なことを言いつつ。
今日はこの辺で。