TRPGと布教活動

なんか、よくTRPG者が、TRPGを広めようとするときに「布教」って言葉を使うような気がする。
でも、

どんな趣味を持っていても自由だ。でも、誰彼かまわず会う人にその話ばかりして誘う人間は少し鬱陶しい。自分の子供、自分の妻、自分の夫、自分の恋人を溺愛し、また信じるのも自由だ。けれど、それを他人に理解してもらおうと熱心に語りかけることだけは控えた方が良いだろう。馬鹿だと思われるだけだ。つまり、宗教の場合もこれと同じような気がする。布教活動を目にすると、たちまちその宗教が胡散臭く感じられる。
なにも語らなくても、信者が幸せそうにしていれば、周囲から人が集まってくるはずだ。

こういう見方もあるし、もっともだとも思う。実際、それはあまり良い事ではなくて、楽しくプレイすることが一番の布教なのだろう。
但し、TRPGの場合、傍から見ていても、何をやっているのか分からない、楽しさが伝わりにくいという部分がわりとあるので、この辺結構厳しいよなあ、とか思った。