この世の悪、あるいは罪について

はい、どうも。
皆さん、こんにちは。
早々と秋めいてきた昨今、いかがお過ごしでしょうか。
僕は、最近、すっかりtwitterにかまけて、ブログを放置しまくっております。まあ、twitterにかまけてなくても、いつもこのくらい放置気味のような気もしますが。
ところで、昨日、某有村さんとこのブコメで、

どっちかってえと忖度がどうとかいう話じゃなくて考え方や物事を他人に強制するというか、他人を無理矢理自分の考える枠組みにはめ込もうとすることの暴力性だって気がした。

というようなことを書かせてもらいました。
だけども、実は、これって、その場でぱっと思いついたわけじゃなくて、わりと前々からそういうようなことを思ってたんですよね。
で、まあ、いい機会だし、その話をお蔵出ししようかと。
念の為に言っときますけど、今回の話は、ただの一般論であって、有村さんとかその他の人に対してどうこうとかそういう話じゃないっすからね。
まあ、あんまり考えがまとまってないといえば、まとまってないんですけども、ほら、なんつうか、世の中にはいろんな人が居て、いろんな考え方がありますよね。
それはそれでいいんですよ。
それは別に「悪」じゃない。
だけども、その考え方や物事を他人に強制する事は、「悪」なんじゃないかと僕は思う。
善意や無意識による場合も多いので、「悪」と呼ぶことはあまり適切でないというのなら、あるいは、それを「罪」といってもいい。
なんにしろ、それは、とても「不幸」なことだと思う。
だけども、ここで気をつけなきゃいけないのは、その「考え方」や「物事」の善悪と「強制する事」の善悪を一緒にしてはいけないということなんじゃないかとも思う。
例えば、足のサイズが三十センチ近い僕に、二十五センチの靴を無理矢理履かせることはいいことではない。だけども、だからといって、二十五センチの靴それ自体が悪いってわけではない。逆に言うと、二十五センチの靴それ自体が悪くないからといって、僕にそれを無理矢理履かせることが正当化されるわけでもない。
ここら辺の混同には、気をつけなきゃいけないんじゃないかな、と思う。
……まあ、今日、俺の言いたかったことは、こんだけや。
ほなな。