陰毛派の巨匠
はいどうも。そろそろ月一更新ですら辛くなって参りました、mimizuku004でございます。
とりあえず今回はものすごく手抜きな更新をしようかと思います。
まあ、何の話かってえと、
平野耕太先生、パイパン主義を唱える - Togetter
ってのを見て、
隆慶一郎は陰毛にこだわりがありそう。
って話を思い出しまして、またぞろ隆慶一郎の引用でお茶を濁してしまえ、などと。
まあ、前々から書こうとは思ってたんですが。
で、なんで俺が「隆慶一郎は陰毛にこだわりがありそう」などと思ったかというと、その作品中に以下のようなくだりがあるからなんですね。
実は、二郎三郎は、女が行水を使うところを破れ築地の隙間から覗いたのである。眩しいように白い裸身の中央に、漆黒の豊かな恥毛があった。それが湯で濡れて、ぺったりと肌に貼りついている。その長さが異常だった。股間から更に五、六寸も下に垂れているのである。こんな豊饒な恥毛の持主を、二郎三郎は見たことがなかった。
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「来て」
手招きすると蒲団の上に仰向きに寝た。脚を立て、ゆっくりと開いた。
誠一郎は磁石に引かれるように近づき、じっくりと見た。
逞しかった。濃い毛は途切れることなく後門まで続き、まるで毛の褌のようだ。そしてその中に桃色の裂け目が濡れている。そこだけが勝手に息づいているような、強烈な性感があった。
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ていうか「毛の褌」は要するに剛毛というか毛深いってことだからそれほど珍しいもんでもないような気がしますが、「陰毛の長さが十五センチ以上」は割合珍しいんじゃないかと。少なくとも、僕自身は、これ以外では見たことも聞いたこともねえっす。*1
ほんと、どこでオリジナリティ発揮してんのって話ですよ(笑)。
まあ、こういうわけで、僕は「隆慶一郎は陰毛にこだわりがありそう」と言ったわけです。
ただ、「吉原御免状」によると吉原の女の人は陰毛にはこだわってたらしいのでそれを受けてのことなのかもしれません。
しかし、その説明にしても、
長襦袢の前が完全に割れ、高尾の秘所が露わになった。むっちりとふくれたそこには、一本の毛もなかった。それは少女のように滑らかで、温かく、そのまんなかに一本、かすかに桃色をおびた線のような割れ目が走っている。
っていう記述の後にわざわざ、
誤解を避けるために云っておかねばならない。高尾はけっして無毛症ではない。白桃のように美しい秘所は、実は十二、三才の禿の頃からの、長い入念な手入れによる成果なのである。
吉原の遊女たちは、所謂地女(素人の女)とは格段の媚術をもっていたと信じられているが、この『毛を抜く』という所作も、その媚術の一つであった。勿論、遊女のすべてが、高尾のように、完全な無毛にしていたわけではない。各人が自分の美しいと信ずる形に整え、手入れを怠らなかっただけである。割れ目の上(これを額と称する)に、ひとむら残しておく者もあれば、まんべんなく形よく抜いている者もあり、堅い毛を酢につけて柔らかくしている者もある。ひと様々である。ただ、地女のように天然自然のままに繁茂させっ放しにしている者は、ひとりとしていなかった。
むやむやの関をおろぬくてんや者
てんや者とは『店屋者』のことで、商売女のことを云う。
十本程額へ残すてんや者
小奇麗に毛を引いておくてんや者
傾城も毛抜は一の道具也
羽根楊枝程は鳳凰毛を残し
これらのバレ句は、すべてこの実態を描いたものである。同上P260-261より
「毛がないけどただのパイパンじゃないよ!」って言ってみたり、「云っておくが」とか「断っておくが」とかじゃなくて、「云って『おかねばならない』」と使命感のようなものを感じさせる口調で言ってみたり、明らかに何かが滲み出ています。
なので、もし隆慶一郎が生きてて上の談義に参加してたらどうなってたのかなーとか想像するとわりあい楽しいです。
それでは、今日はこの辺で。
*1:エロの世界は色々奥深いんで探せばあんでねえかなーと思わないでもないですが。