たった一行で分かるスティーヴン・キングの天才っぷり。

はいどうも。皆さんこんにちは。
正月明けてから本棚の整理をした男、mimizuku004でございます。本を処分したりはしてないんですが、別の場所に移したので多少余裕が出来ました。
で、今日は上のように題しまして、散々言われまくっているであろうスティーヴン・キングの天才っぷりについて書いてみようかと思います。つうても、僕自身はキングはあんま読んでないんですけどね。
そんな数少ない、僕が読んだことのあるキング作品の中から、今日取り上げるのはこれ。

ダーク・タワー1 ガンスリンガー (新潮文庫)

ダーク・タワー1 ガンスリンガー (新潮文庫)

全七部に及ぶ大作、ダーク・タワーでございます。
その中でも、第一部「ガンスリンガー」の冒頭の一行、つまりは大作の最初の一歩について書こうかと思います。
それは、こんな文章です(最初の一行のわりにページ数がいっているのは前書きが長いせいです)。

黒衣の男は砂漠の彼方へ逃げ去り、そのあとをガンスリンガーが追っていた。

もうね……。なにこれすごいとしか言いようがないですよ。ほんとに。
蛇足のような気もしますが、一応どうして僕がすごいと思ったのかをざっと書いておきます。
まず、小説の冒頭っていうのは、小説の書き方みたいな本によく書いてあるように、目茶目茶重要なわけですよ。
どうしてかっていうと、

もしも出だしで読者の心をつかむことができなかったとしたら、第一章の終わりまで読者を引っ張っていくことさえできないだろう。

ディーン・R・クーンツ著「ベストセラー小説の書き方」P106より

ってのがその理由なわけです。
そこで書き手の側は、出だしに趣向をこらすことになるわけですよ。
例えば、

メロスは激怒した。

と書いてみたり、

吾輩は猫である

と書いてみたり、あるいは、

あの日の、あのときのことは、堀源太郎にとっては、生涯忘れきれるものではなかった。

池波正太郎著「男振」P5より

男振 (新潮文庫)

男振 (新潮文庫)

などと、思わせぶりなことを書いてみたりして、なんとか読者を引き込もうとするわけです。
で、

黒衣の男は砂漠の彼方へ逃げ去り、そのあとをガンスリンガーが追っていた。

というキングの文章の何がすごいのか。
それはつまり、このたった三十五文字のシンプルな文章の中に、「黒衣の男とは何者なのか?」「なぜ逃げ去ったのか?」「ガンスリンガーとは何者なのか?」「なぜ黒衣の男を追っているのか?」と、大まかに言って四つもの読者を引き込もうとするポイントが含まれているからなんですよ。
正直、この手の書き出しでそれが四つもあるのはかなり多い方だと思います。
大抵の書き出しでは、二つか三つってとこのような気がします。
上でも出した、この池波正太郎の書き出しも似たようなパターンだと思いますが、

あの日の、あのときのことは、堀源太郎にとっては、生涯忘れきれるものではなかった。

池波正太郎著「男振」P5より

これだと、「あの日の、あのときのこととはどういう出来事なのか?」「堀源太郎とはどういう人物なのか?」「どうしてそれが堀源太郎にとっては、生涯忘れきれるものではないのか?」と大まかに言って三つです。*1
大体、普通にやったらこんぐらいだと思うんですよ。
そう考えると、キングの文章に四つあるってな、わりと並外れたことなんじゃないかと。
まあ、それが多けりゃいいってもんでもないし、少なければ駄目ってもんでもないんですけども。
例えば、

吾輩は猫である

なんかは、少ないけどいい典型じゃないかと思います。
どうしてこれが少ないのにいい書き出しなのかってえと、「いきなり猫が喋り出してる」っていうのが、物凄くインパクトがあって、それで読者が引き込まれちゃうからなんですね。
上述のキングや池波正太郎が、思わせぶりな文章で読者を引き込もうとしてるのとは、ちょっと種類が違うわけです。*2
そういう話もあるので、一概に多いからいいとか少ないから駄目とかは言えなかったりします。
てか、キングの文章も、単純に多いからすごいわけではありません。
それこそ、無理矢理詰め込んでたり、一文がもっと長かったりしたら、いくら多くたって、あんまりそんな風には思いませんよ。
だけど、キングの場合、全く無理がない上、一文の長さでは、池波正太郎よりも短いぐらいなんですもん。
すごいとしか言いようがねえっすよ。もう。
まあ、スティーヴン・キングなんだから、すごいのは当たり前っちゃ当たり前なんですがね。
てなわけで、今日はこの辺で。

BGM「愕天王 (ガクテンオー) 見参!」梶浦由記

*1:この切り方には異論もあるとは思います。特に、一番最初については、「あの日とはいつのことなのか?」「あのときのこととはどういう出来事なのか?」と分けることも可能かと思いますが、一つの出来事の時と内容を別々にしてしまうのはちょっと分け過ぎな気がしたので、こうしました。というか、こちらをこう分けるならキングの方には「砂漠の彼方とはどういう場所なのか」とかを加えないと公平じゃないように思いますし、そうすると結局キングの方が多いことになります。

*2:強いて言うならば「思わせぶり型」と「インパクト型」とでも言いましょうか。とはいうものの、多くの書き出しはどちらの要素も大なり小なり持ち合わせていると思うので、区分するとしても「どちらかと言えば思わせぶり型」みたいな曖昧な話になるとは思います。例えば、『メロスは激怒した。』は、僕としては、どちらかと言えば「インパクト型」だと思いますが、「メロスとは誰なのか?」「どうして激怒しているのか?」という思わせぶりな面もかなり存在しています。