TRPGセッションが失敗する原因。

 セッションが失敗する原因は星の数ほどある。たとえば、シナリオの不備とか、PCがGMの意図を無視して大暴れするとか、枚挙に暇がない。だが、最近、ちょっと気になっているのはこういうものではない。それは、セッションが終了した直後に、在る疑念が浮かび上がるセッションである。正確に言うと、この場合のセッションは一応のまとまりを見せて終わる場合も多いから、明確な失敗とは言えないかもしれない。だが、終了した瞬間、思うのだ。「一体、このシナリオで何がしたかったんだろう?」

 諸兄はシナリオを作成する際、最初に何を考えるだろうか。シナリオのギミック?ヒロインの設定?ボスキャラのデータ? 人それぞれであるに違いない。だが、まず最初に、少なくともシナリオ作成のかなり早い段階で、このシナリオでどういうことがやりたいか、どういう方向性のセッションにしたいのか、ということを考えるのではないか。むしろ、これはシナリオ作成時点よりも、はるかに早い段階で考えられている可能性が高い。つまり、システム選定の時点である。おおよそのシステムにおいては、概ねどのようなことを目指しているか、どのようなことを再現できるか、ということが重要なファクターであるはずである。たとえば、セブン・フォートレスであれば、ライトファンタジーダブルクロスであれば、日常の中の戦い、D&Dでは、ダンジョン物であったりする(この分類には異論もあるだろうが、話しの都合上、それはとりあえず措く)。

 だが、システムの方向性だけでは、あまりにも漠然としているだろう。そこで、自分がそのシナリオでやりたいことをさらに絞り込む必要があるのだ。セブン・フォートレスの方向性がライトファンタジーだからといって、それが巨悪を討つ勇者一行の物語であるのと、借金まみれの貧乏パーティが食い扶持のためにゴブリンを必死に狩り殺すのとでは、セッションの方向性が180度違うし、前者においても、後者においても、より細かい絞込みが必要となるはずである。

 後者を例に挙げれば、そのシナリオでやりたいのが、貧困という現実の中で強かに生きてゆく冒険者のさまを描きたいのか、どん底から這い上がるサクセスストーリーなのかで全く違うシナリオになってしまう。
前述の疑念を抱くシナリオは、こういった、このシナリオで何を目指すかの絞込み、さらに言えば、自分がどのようなシナリオをやりたいのか、という絞込みが出来ていないのではないか、と思える。

 私事で恐縮だが、私がナイトウィザードV3のキャンペーンを行った際に念頭に置いた方向性は、「みなさん、この残酷な世界で頑張って生きて下さい」という物だった。これは、木城ゆきと氏の漫画、銃夢L.O.でディスティ・ノヴァという教授が吐いた、「世界が残酷なのは当たり前のことです」というセリフに起因する。これほどまでに、それこそ残酷なまでに世界を描写したセリフを、私は寡聞にして知らない。
この世界は残酷である。だからこそ、その世界で、その現実に絶望することなく、強く生き抜く人は美しい。そんな物語を紡ぎたいと思った。これが私の目指したものである。いや、未だに目指し続けていると言って良いだろう。
 
 このことを踏まえて、私のリプレイを読んで頂ければ、それが確かにあることを分かっていただけるのではないかと思う。
思い返してみると、GMが上手いといわれる人のシナリオはやりたいこと、目指している方向性が明確であったように思う(私などはまだまだであるが…)。それは、セッションを成功に導く最も単純な条件なのではないだろうか。

 逆に、前述のような疑念を抱くシナリオでは、セッション中、PLは、「こういうことがやりたいのかなあ…」と手探りでセッションを進め、結局どういうものを目指しているのか分からない、という状態なのではないか、と思える。勿論、途中で明確な方向性が見えれば、それで良いし、そのようなセッションは楽しいものだろう。だが、GM自身の認識が曖昧であるように思えるのである。

 なんとなく、目指す方向性はあるのである。こういう感じのことがやりたいという、漠然としたこだわりは。
だが、その曖昧さがセッションを中途半端なものにしてしまうのではないか。
対策は一つ。自分が紡ぎたい物語とは何なのかを探すことである。
 
 自分の好きな小説や漫画…、そこに何か共通するものを見つけ出すことは出来ないだろうか。自分は、それらの作品の何が面白いと思ったのか、見つめなおすことはできないだろうか。多少のパクリには目を瞑ろう。この作品が大好きだ。私もこういう作品を作りたい。何らかの作品に出会って書かれた作品はすべからくそこを出発点にしているはずである。

 ただ、一つだけ心に留めて欲しい。この作品が大好きだ。その気持ちはとても尊いものだ。こういうシナリオをやろう。大いに結構。だが、単に引き写しただけでは、それはパクリにも劣るコピーでしかない。それを避けるために、考えて欲しい。この作品ではここは、こうなっている。…だけど、俺ならこうするね、という部分を一つでも。

 その部分が多ければ多いほど、魅力的であればあるほど、そのセッションは楽しいものになるはずである。

というようなことを思っているのですが。ちなみにこれは、以前のサイトにある雑記からの再掲です。あっちを見てる方は皆無だと思いますが、こちらは、多少いらっしゃるので、載せてみました。

最近、サークルに行っていないので、こういうセッションをやってるGMがどうなってるのか判らないんですけど、多分、あんまり変わってないかと(笑)。まあ、ご大層な事を言ってますが、笑っていただければ(笑)。
あと、リプレイの話が出てますけど、webで公開する予定はあんまりありません。その技術も無ければ、暇も無いので(笑)。