TRPGのゲームデザインと政治思想

なんか呼ばれた気がしたんで勢いで考えてみたけど、よくよく考えてみると全然お呼びじゃなかった。*1

東浩紀、SFとTRPGとhatenaにハッカー文化の影響を見るだそーな - TRPGのススメ?
相変わらず東浩紀何言ってんのか微妙によくわからねえけど憶測で適当に書く。

SFとかTRPG文化に密接に結びついている

ハッカーたちの基本的なメンタリティに反権威主義(がある)

ジョブズはでっかいカンファレンスでもTシャツ、ジーンズ

ラフな格好がかっこいい

ある種の政治的な意味

ここら辺のことは色々な文献を見ればよくわかる


なるべく個人で自分の手を動かして

権威主義的に自分の自由を守ってやる

TRPGに関する文献って一体何なのかよくわからねえ。そりゃSFとかハッカーなら山のようにあるだろうが。なんか海外の文献なんじゃろうか。知らんけど。

まあここで、東浩紀が自由=反権威主義としているのは良く分かる。
東浩紀リバタリアンらしいので、ここでの自由は政治思想的な自由、つまりはミルを源流とするリベラリズムの自由だと思われる。
ミルは自由論の冒頭で、

この論文の主題は、哲学的必然という誤った名前を冠せられている学説に実に不幸にも対立させられているところの、いわゆる意志の自由ではなくて、市民的、または社会的自由である。換言すれば、社会が個人に対して正当に行使しうる権力の本質と諸限界である。(自由論P9)*2

自由と権威の闘争は、われわれが極めて早くから熟知している歴史の部分――特にギリシャ、ローマ、およびイギリスの歴史において、もっとも顕著な特徴をなしているものである。
……愛国者達の目的は、支配者が社会の上に行使することを許された権力に対して制限を設けることであった。そしてこの制限こそ、彼らの意味する自由なのであった。(P9-10)

と述べている。つまり、権威と自由は対立しているわけだ。ということは、反権威であり自由であるということは、そこには反抗すべき権威、対立している権威が存在しているはずである。
ミルの自由論ではそれは社会的な権力で、社会と個人の対立を言うわけだけど、ハッカーやSF、TRPGの場合は、どうだろうか。
多分、ハッカーやSFの場合は対立しているものは同じような社会的権力だと思う。あんま詳しくねえけど。
ハッカーがそうだというのは見やすいし、SFも実際の社会や何かを風刺するってことがありうるから、そうじゃねえかな。*3
ただ、TRPGで、そういうのはあんまり見たこともないし、感じたことも無い。
紅茶さんも

SFと違ってそこまで反権威主義的な思想性が残ったか?

って言うてるけど、俺もそう思う。んだけど、ひょっとするとこの東浩紀の言うてるTRPGの反権威主義というのは、そういう外部的な社会的権威に対するものじゃなくて、内部的なものかもしれんとも思う。
つまり、TRPGはその内部に個人と対立している権威を内包している、ということでねえのかな。

俺が想定している権威っていうのは、他ならぬルールブックなんだけど。
要するにTRPGにおいてはルールブックという権威・権力が存在しているが、それと対立しているプレイヤー(個人)は必ずしもその通りにやるわけではなく、各々で工夫していくことがある(=自由にやる)とか、そういうことではなかろうか。

とかそういう風に言うと、いかにもルールブックの権力とプレイヤーの自由が対立しているかのようにも思えるんだけど、これもまた微妙な気がする。
確かに対立構造に見えなくも無いんだけども、それが「反権威主義的」か、と言われると、首を捻らざるを得ない。
権威主義というものには、権威に対する反感とか反抗のような意味合いがあると思う。そして、ハッカーやSFにはそういう既存の権威に対する反感・反抗のようなものがなくはない、と思う。*4

でも、TRPGGMとかPLに、ルールブックに対する反感とかあるか?っていう。そりゃ絶対無いとは言い切れないけどさ。どうにも、ルールブックを権威と考えてそれに対して反発していくって言うメンタリティは薄そうな気がする。
僕はシナリオを作る作業っていうのは、そのシステムの世界観を解釈していく、もしくはそこに具現化しているゲームデザイナーの妄想と自分の妄想を混ぜるっていう作業だと考えている。
だから、「ここが面白いなあ」「ここはこうしてみようかなあ」とは思っても、別にその世界観に反感は抱かない。どうもなんというか、SFやらハッカーに比べると、TRPGにおける権威(ルールブック)とPL・GMとがそれほど対立していないのではなかろうか。


大体、ルールブックへの反発ってあんまり意味がない面もあるんだよね。その権威に反発して、自分なりの部分をどんどか増やしていくと、割と早い段階で、「それ、このゲームでやる意味なくね?」という致命的な言葉が投げかけられるんじゃないかね。要するに、その既存の権威であるところのルールブックの掌の上からあんまり離れられないって気がする。

なので、TRPGが反権威主義的かと言われると、言うほどそうじゃないないんじゃね?と僕は思う。


まあこの辺、東浩紀だしな。というか、前々から思っとったんじゃが、東浩紀にしても大塚英志にしても、TRPGのことどのくらい知ってるのかね? おいらは大いに疑問なんじゃが。なんていうかね、実際に「やれとは言わんが――」「語れるくらいになってないと!」*5とか思ってしまう喃。


しかしながら、この辺のことがヒントになったんじゃが、どうにもFEARのシステム思想には、リベラリズムとの相似が見られるんじゃなかろうか、という気がしている。


上でもミルの自由論を引用したけど、ミルは、権力を制限することが自由だっていう言い方をしている。でまあ、社会が個人に対して権力を行使するときの限界がどこら辺にあるか、権力はどういう風に制限されるべきかっていうので有名な危害原理を提唱するわけだけど、もしもルールブックとPL・GMの関係が、この場合の社会と個人の関係に置き換えられるとしたなら、ゴールデンルールはルールブックの権力を制約する原理かもしれないと思う。

ルールブックはまぎれもなく権力を持っている。というかもってなきゃルールにならん。しかし、ゴールデンルールは、明確にそれを無視してもよいと認めている。これは明らかにルールブックの権力を制限している。つまり、ルールブックという権威が個々の遊び手にたいして行使しうる権力の限界を明文で定めている、という言い方もできるのではないか。
自由度の切り分け 共同ゲームデザイン 行動宣言およびシーン作成における選択肢の幅 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むによると、のば通ラジオで鈴吹社長はゴールデンルールを刑事訴訟法だと言ったらしいけど、こういう風に考えるとやっぱりゴールデンルールは憲法だと思う。やっぱり、というのはルールの構造の話からしてもそうだということなんだけど、ゴールデンルールはルールブックの一番最初に出てくるルールで全てのルールの上に立っている。これは憲法が国の最高法規であるというのと同じに見えるんだよね。ていうかデモンパラサイトのときも思ったが、法律のこと良く知らないんだったらそういう例え使わなきゃ良いのに。

まあ、それはそれとして。

そんでもって、ハンドアウトとか今回予告とか、オープニング、ミドル、クライマックス、エンディングというシナリオ・セッション構造にしても、そうなんじゃないかという気がしている。

ここで僕が思い出すのはミルの自由論ではなくて、ロールズの正議論なんだけど。
ロールズは阿呆みたいに難しくて、僕もうろ覚えだからものすごくはしょって話をするけれど、ロールズが提唱した正義の二原理のなかに、格差原理っていうのがあって、それはどういうものかというと、「社会において最も恵まれていない人々の利益が最大化されるべき」というものなんだけどさ。*6

で、考えてみるに、TRPGプレイヤーの中でもっとも恵まれていない人は誰だろうか。それは、TRPGのことは何も知らない/良く知らない初心者ではなかろうか、と。
やれば分かるといわれるが、逆にいうとやらなければわからないし、その分かっていない時点では、とりあえずやってみることさえ簡単ではない。
ていうか、何も知らない人間を集めてぽんとルールブック渡しても、ルールはどうにかわかってもセッションの進め方自体が分からんのではなかろうか。
そこで、その人達の利益を最大化するべく、セッションの構造を分かりやすく四段階構成としてフォーマット化してみたり、事前のすり合わせのためにハンドアウトや今回予告を用意する。
まあ、それで十分なのか、本当に効果的なのか、とかはまた別問題だけど。

こう考えると、一部の古参ゲーマーにFEARゲーが受けが悪いのもある意味当然だろう。
その人達は、最も恵まれていない人達ではない=FEARゲーの設計思想において、対象とされている人々ではないのではないか。彼らは、対象となる層からはずれているのではないだろうか。
ある意味、FEARゲーは、その人達は、ある程度放っておいても大丈夫だと思っているのではなかろうか。


とかまあこんな風に、TRPGゲームデザインと政治思想に(意図してるのかしてないのかは知らんけど)なんとなく似通ってる部分があるってな面白い。

以前、知り合いが教育実習行ってきて、先生とゲームマスターには通じるところがあるみたいなことを言ってたけど、*7なんか、TRPGはいろいろなものの縮図なのかもしれん喃。

とかこういうこと書くと、何だか大塚英志とか東浩紀の方向に近づいてしまうような気がする。気を付けんといかん喃。


とりあえず最近は拙速気味にやってみようと思っているので、取り急ぎこんな感じで書いてみた。
相変わらずまとまらねえ。



BGM:「熱風!疾風!サイバスターJAM Project

*1:ハッカーとかSFとか全然詳しくないということをすっかり忘れとった

*2:

自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)

*3:知らんけど。

*4:ていうかこの辺曖昧な言い方になってんのは、僕がSFに関しては全くの門外漢だからである。ハッカーに関しては、そういうものがあることはなんとなく分かるんだけど。

*5:新吼えろペン六巻より

新吼えろペン 6 (サンデーGXコミックス)

新吼えろペン 6 (サンデーGXコミックス)

*6:この原理が何故正しいのかということを、ロールズは無知のヴェールという恐ろしく漫画的な概念を使って説明するんだけど。

*7:つまり、先生が生徒をまとめるのがマスタリングに似てるとかそんな話だったかな