コードギアス感想〜ラスボスの居ない世界でラスボスになった少年、ルルーシュ〜



超今更ですけど、とりあえずコードギアスを最後まで見て思ったことを適当に書き散らそうかと思います。
んでまあ、コードギアスは、ラストでああいうことになったわけなんですけど、アレって結構興味深いというか、上手いやり方ではあると思うんですよね。作劇的に考えて。
それを理解するには、まず現代社会の状況っていうものとかを考えておく必要があります。
いきなりわけの分からないことを口走り始めますけど、現代っていうのは、「ラスボスの居ない世界」なんですよね。もっと正確に言うと、「ラスボスが居なくなりつつある世界」だと思うんですけどね。
このラスボスってな、具体的な人物じゃなくても、ある一定の組織であったり国であったり……、要するに、「こいつを倒せば、この問題は解決する」っていう存在のことです。
例えば、第二次大戦は、日本とドイツとイタリアという存在を打倒することによって終結しましたよね。
ガンダムにおいても、ジオン公国、あるいはザビ家というラスボスを打倒することによって、少なくとも、一年戦争という問題は終結したわけですよ。
だけども、現代においては、そういう風にラスボスを倒しても解決しないというか、ラスボスが存在しない問題が、徐々に大きくなりつつあるわけです。
その代表がテロリズムです。
現に、アメリカがイラク戦争で、イラクを打倒して、フセインをとっ捕まえても、テロリズムという問題はなんら解決しなかったし(まあ、そもそも、イラクアルカイダは関係なかったっぽいですが。本来の用途とは大分かけ離れてる気がする。 - 一切余計)、恐らく、オサマ・ビン・ラディンを逮捕したり、あるいは暗殺しても、アルカイダという組織を壊滅させても、解決はしないでしょう。
現代っていうのは、こういう風に、ラスボスが存在しない問題ってのが大きな問題になっているというか、むしろ、ラスボスが存在する問題よりも、そういう問題の方がやっかいだということが明らかになりつつある時代のような気がするんですよね。*1
ここでやっとこコードギアスに戻りますけど、こういう部分を意識して、ルルーシュの選択を見てみると、非常に興味深いわけですよ。
つまり、それは、ラスボスが居ないのなら、自分がラスボスになってしまえばいいという選択なんですよね。
そういう風に考えると、誰がこれを思いついたのか知りませんけど、コードギアスは非常に上手い解決というか、オチのつけ方をしたなーと。
つか、あれなんすよね。ガンダム00の第一期も大体こういう話だったよーな気もするんですよね。
イオリアの計画なのか、リボンズの計画なのか、よくわかんないですけど、あれって、結局ソレスタルビーイングをそういうラスボスに仕立て上げて世界を統一しようって考えてたみたいですからね。
まあ、ソレスタルビーイングとしては、それで生贄にされたらたまらんってことで、それに必死に抵抗して微妙に生き残ったわけですが。ルルーシュは、自分で考えて、自分でやったから、そういうことにはならなかったんですけど。
まー、何にしても、近年を代表するようなコードギアスガンダム00という二つのアニメでそういう部分があったってことに、ちょいと象徴的なものを感じたりしますた。

*1:テロリズム以外だと、民族問題とか、経済(貧困)とか、エネルギー問題とか、環境問題とか